大学の自治とは

大学の自治と学生の関係

東京大学を構成する教職員および学生は、その役割と活動領域に応じて、運営への参画の機会を有するとともに、それぞれの責任を自覚し、東京大学の目標の達成に努める。
(東京大学憲章)

大学当局は、大学の自治が教授会の自治であるという従来の考え方が現時点において誤りであることを認め、学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利を持って大学の自治を形成していることを確認する。
(東大確認書)

学生自治会は、学生の立場から大学の全構成員自治を擁護するとともに、学生に対して福利厚生を提供すること、この二つを目的として活動しています。
しかし、「大学」という存在自体が、社会の中における位置づけを急速に変化させている中で、一般に日本国憲法23条が保障する「学問の自由」を制度的に保障するものと解釈されている「大学の(全構成員)自治」についても、その意味を大学構成員全員が自ら問い直さなければならない状況となっています。
ここでは、学生自治会という立場から「大学の自治」とは何なのか、なぜ「大学の自治」が大切なのか、ということを、とりあえずは比較的従来通りの見方に則て、解説していきます。

大学の全構成員自治とは

そもそも「大学の自治」とはなんでしょうか。
「大学の自治」の定義は、歴史や国によって大きく変遷してきましたが、今日の東京大学における定義は、「大学の運営は、大学内部の『すべての構成員』の手によって、大学として自律的に行う」ということです。では、なぜ、大学内部の「すべての構成員」で「自律的に」大学の運営をしなければならないのでしょうか。それは、大学外の人が大学運営に参画すると、日本国憲法23条の保障する「学問の自由」が脅かされるからです。もしも大学外部の人、例えば政府や企業が大学運営に介入してきた場合、どうなるでしょうか。大学とは、学問という、全人類にとって純粋な真理の探究を目的とする場所であるにも関わらず、政府や企業が自分たちに都合の悪いことは研究したり公表するなとか、あるいは逆に政府や企業にとって都合の良いことしか研究するなと圧力をかけてくるかもしれません(このような事は、現に過去に起こったわけですし、また今日もその危機にあります)。これでは、研究したいことも研究出来ないか、逆に言われたことしか研究出来ず、「学問の自由」が脅かされてしまいます。「学問の自由」が脅かされないように、大学のことは、あくまで大学内部の「構成員」のみで決める(つまり自治)のです。
(もちろん、だからといって大学も社会の一員である以上、社会とのつながりや社会からの批判を無視して良いというわけでは決してありません。「社会の構成員として社会の中で役割を果たすこと」と、「大学のことは大学が自律的に決めること」は、別の問題です。)

では、大学の運営を担う「大学内部の『すべての構成員』」というと、どのような人たちが該当するのでしょうか。
実は、大学の「構成員」の定義についても、歴史的に大きな変遷が見られます。「学問の自由」が憲法で初めて保障された戦後直後は、「大学の構成員」とは、教授だけであって職員も学生も含まない、ゆえに「大学の運営は大学の教授だけで行う」と広く解釈されていました。この考えのもとでは、学生は、主体的に学問に取り組む存在ではなく、単に教えられたことだけを勉強する存在、つまり「児童」(小学校)や「生徒」(中高)と同じ管理の対象に過ぎない存在であるとされていました。しかしながら、昭和40年代の大学紛争以降は、学生についても固有の権利を持つ大学の不可欠の構成員として捉えることが、学説としても判例としても有力となっており、また特に東京大学においては、学生と総長とが昭和44年に結んだ「東大確認書」によって、大学の自治とは、教授会のみならず、学生によっても形成されていると解釈されています。

では、なぜ元々教授しか「構成員」として認められていなかったのに、学生も「大学の構成員」と考えられるようになったのでしょうか。これは、学生が大学の自治=大学運営に参画する権利と義務との双方を有しているという考え方によります。

学生が大学運営に参画する権利とは

まず、学生が持つ大学運営に参画する権利という側面から考えてみましょう。
突然ですが、私たちは、お互いを「個人として尊重」しなければなりません。例えば、日本国憲法は、その中において「個人の尊重」を根本規範として掲げています。確かに、日本国憲法の第一の名宛人が政府であること(社会契約)はご存知の通りだと思いますが、しかし一方で私たちは日本国憲法を優れた人権カタログとして参照することもできるのであって、自律性の求められる大学構成員の関係においても、その理念は適用されなければならないと解釈することが可能です。また、そもそも「個人の尊重」とは、単に日本国の現行憲法に条文として書かれているというだけの存在ではありません。「個人の尊重」とは、多種多様な価値観を持つ人々がお互いを尊重しあって社会を維持し生きて行くなかで必要不可欠なものなのです。大学というのも、それこそ国粋主義者から共産主義者まで、無神論者から仏教徒やキリスト教徒まで、多種多様な人からなる「社会」ですから、東京大学というこの「社会」においてお互いの価値観や思想を尊重しあうために、「個人の尊重」は、大学のなかにおいても必要不可欠なものです。
さて、個人として尊重されるというのは、自分のことは自分で決めるということです。私たち学生も、個々人として尊重されねばならない以上、自分たちのことは自分たちで決める権利、つまり「自己決定権」を当然に持つということになります。さらに、各学生の自己決定権の集合体として、学生全体の自己決定権、すなわち「学生自治権」という権利が存在するといえるでしょう。そして、自己決定権という固有の権利に由来する、学生自治権という固有の権利を保持するための「手段」として、学生による大学の自治への参画かあるのです。なぜならば、もし学生が大学の自治に参画できない、つまり大学運営に参画しなけれは、学生無視の政策が一方的に教職員により進められ、学生は自分自身が反対することでも従わなければならないような事態、つまり自己決定権を侵害される事態につながるおそれがあるからです。このような事態を防ぐための手段として、学生が大学の自治へ固有の権利を持って参画するのです。この観点に基づけば、あえて大学当局が大学の自治に学生を参画させる理由が無いように誤解しかねませんが、しかし先述の通り、学生による自治権は、あくまで各学生の持つ固有の権利=自己決定権に基づくものてあり、大学当局が濫りに学生の自治権を制限することは許されず、故に当然の帰結として学生による大学の自治への参画を制限することも許されるものではないことは注意しなければなりません。

また、大学の運営に参画することは権利であるならばあえてそれを行使する必要はない、大学の運営なんて難しい事は教職員に任せておけば良い、そのように考える方もいるかもしれません。しかし、大学という民主主義社会において、自らの持つ固有の権利を教員や職員などの他人に無条件に「委任」してしまうようなことがあれば、それこそ真の「民主主義の死」というものであり、そして自らの持つ固有の権利を無条件に「委任」したらどうなるか、それは歴史が明らかにしています。

学生が大学運営に参画する義務とは

さて、今度は、学生が持つ大学運営に参画する義務という観点から見てみましょう。
大学において学術的営為を担う存在としては、専ら研究者・教員が想定され、実際に彼らが大学における学術的営為を担う中心的存在てあることは間違いありません。ですが、「学生」というのは、「生徒」や「児童」と同じように単に受動的に教育される身分なのではなく、主体的かつ能動的に自ら真理を探究する身分です。「真理を探究する」「学問をする」という抽象的な言葉では、「生徒」と「学生」との違いは、わかりにくいかもしれません。また、大学に入って勉強の方法が、少なくとも駒場においては、高校までのと180度異なるかといえば、そういうわけでもありません(最大でも60度くらいでしょう)。しかしながら、そうはいっても、やはり学生は学問を探求する主体なのであって、学問の自由を持つという点で、教員と対等な存在です。そして、「大学の自治」が、よく学説で言われるように日本国憲法23条に謳われる「学問の自由」の「制度的保障」である以上、「大学の自治」への参画の可否は、「学問の自由」を持つか否かというただこの尺度のみで測られなければなりません。そして、「学問の自由」を持つか否かということでいえば、学生は教員と全く同等なのですから、やはり学生は、「大学の自治」へ教員と同じように参画しなければなりません。つまり、学生は、教職員と同様に大学運営の主体者であり、主体者としての責任を引き受けなけれはならないのですから、学生か大学運営へ参加することは、権利というよりは寧ろ義務てもあるのです。

学生自治会の役割

以上のように、学生が大学運営(=大学の自治)に参画することは、権利であるのみならず義務でもあります。とはいえ、単にそういった権利や義務を「有している」ということと、こういった権利や義務を実際に「行使し果たす」こととは、また違うものです。この「有している」を「行使し果たす」に発展させる、具体的には教養学部当局との交渉によって大学運営に学生の声を反映させる存在こそ、学生自治会なのです。

また、「大学の自治」は、大学の社会における位置づけが変化する中で、絶えずその意味を大学構成員が自ら問い直さなければならない状況となっています。
学生自治会は、「大学の自治」が「学問の自由」を守る前提であるという従来からの認識に基づき「大学の自治」と「学問の自由」を擁護してく一方で、21世紀の現代日本における「大学の自治」とは何なのかという重大で誰も答えたことの無い問に、自らの活動で以て常に答え続けていく存在です。

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