「延期」となった2020年度入学式と同日、5月1日に開催された「参議院事務局職員採用総合職試験」について、本会執行部は教養学部と同学生支援課宛に照会を即日行いました。
(関連記事「入学式延期について照会を行いました」:https://todaijichikai.org/nyugakuenki/)
これに対し同学生支援課名義にて同20日、回答がありました。全文はこちら(https://todaijichikai.org/wp-content/uploads/2021/05/f6ab9c80ae83b5739284947bde29c327.pdf)。
なお学生側としては、検討が行われた会議の議事録を開示することなどを想定していると具体的に伝え、同10日を期限として設定しておりましたが、事前に学部側から同20日まで延長の申し出があり、申し出のとおり同20日に回答がなされたものです。
「回答」では、
- 入学式は主催の責任で延期を決定した。
- 試験は東京大学が主催ではないため、開催の可否を判断するものではない。
- 会場の使用許可を出したのは、試験が「高い公共性をも」ち、「社会的な重要性が大きいため」であり、大学の「社会的な役割に鑑み」、中止に追い込んだ場合の「影響については配慮が必要」である。
とし、
- もちろん入学式の延期によって与えた影響を学部として軽視しているわけではない。
と結んでいます。しかし学生側としては、次の2点においてこの回答を認められないものです。
(A)「なぜ外部試験よりも厳しい感染対策を取っているのに入学式が『延期』になったのか」の説明になっていない。
(B)大学の「社会的な役割」は、外部だけでなく、内部に対してもある。大学が今回の対応で外部試験に対する「社会的な役割」は果たそうとしても、学生に対する「社会的な役割」は果たしていないことを露呈した。ゆえに、「入学式の延期によって与えた影響を学部として軽視しているわけではない」という文言は学部側の感想にすぎず、多くの学生への影響を軽視している現実とはかけ離れた、実態のない空文句である。
また、
(C)五月祭の中止との関連
についても言及いたします。
(A)
当然ですが、未知の感染症の脅威のもとでは、私たち学生も活動の自粛に協力します。実際、昨年の学生は自粛によく協力してきました。しかし、現在の状況は昨年とは同じではありません。
たとえば、昨年は多くの外部試験が延期になったのに対し、今年は本件を含め多くの試験が対策をすれば開催が許されています。
それ以上の感染対策が予定されていたにもかかわらず入学式を再延期したのは、正当といえるのでしょうか。
(B)
大学は試験会場のためのただの「箱」ではありません。多数の学生を構成員に持つ「組織」です。「回答」によれば、試験会場を貸し出すことは入学式と違って「公共性」の高い、「大学の社会的な役割」であるとのことでした。
しかし、1年間、満足な説明も受けず、補償も受けず、入学早々キャンパスから締め出され、学生生活を犠牲にして自粛に従ってきた2年生を大学として正式に迎える姿勢を示すことは、外部の試験を開催するよりも「大学としての役割」として重要でないのでしょうか。それならば、もはや大学を名乗る必要はありません。試験会場貸出法人になればよいのではないでしょうか。
そもそも、入学式のために毎年数百万円の費用をかけて武道館を借りているのは、当局も入学式を重要で欠かせない場だと考えているからではありませんか。
このように、「回答」では大学が外部に対する責務を強調するばかりで、内部の学生に対する責務への言及が最後の唐突な一文を除いてほとんど見当たりません。ゆえに、その一文、「入学式の延期によって与えた影響を学部として軽視しているわけではない」というのも、多くの学生への影響を軽視している現実とはかけ離れた欺瞞にほかなりません。
(C)
五月祭中止についても、「回答」と照らし合わせるとおかしな点が浮かび上がってきます。五月祭は五月祭常任委員会(MFSC)が主催しています。したがって開催の可否を判断するのはMFSCであって当局ではありません。さりとて五月祭は、オンライン開催であっても配信拠点として当局から教室を借用しなければならないという関係性があります。これに関しMFSCはTwitter上にて、五月祭の予定どおりの開催を断念したのは当局から教室借用許可を取り消されたためである旨、発表しています。(参照:https://twitter.com/gogatsusai/status/1390974360479956995)
「回答」に照らせば、教室借用許可取り消しの判断は、五月祭の「公共性」や「社会的な重要性」が薄く、またそれを支えるのは大学の「役割」でもないという意見表明だということになってしまいます。
しかし、大学内部の構成員、その多くを占める私たち学生は生きた人間であり、生きている以上、おのおのが当然の権利と欲求とをもっています。私たちは文化的な生活を送る権利や、自己実現の権利を持ち、サークル活動、学園祭、行事などは、これら権利と欲求の発露のために不可欠な場です(註)。「公共性」や「重要性」がないどころか、むしろ外部試験の実施に引けを取らない公共性が認められるでしょう。ゆえに、当局がそれに協力する責務があるのは明白です。
さらに言えば、五月祭の中止によって一部の企画ではレンタルスペースのキャンセル料など金銭的な実害が発生しています。HP掲載の当局発表では当局もレンタルスペースの存在に言及し、認知していることを明らかにしました。しかし5月22日現在、金銭的補償について発表はありません。ここからも、回答にある「(中止の)影響については配慮が必要(だと考えている)」というのは実際の状況と乖離しているということがわかります。(参照「令和3年度(第94回)五月祭(5月15日、16日)開催見送りについて」:https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/students/events/h10_01.html)
しかも同発表では、「(当局が)開催を見送る」という文言を文章全体に渡って繰り返し用い、開催の可否は主催団体が判断するという建て前さえ崩してしまっています。
当局が学生の課外活動については不当に厳しい制限を課しながら、一方では政府にほとんど平時と同等の施設利用を認めているのではないか――そのような疑念から学生側は照会を行いましたが、本件回答はその疑念をますます深めるものであったと言わざるを得ません。あるいは、そもそも試験の実施可否をまともに議論しておらず後付けの理由説明を行ったために、このようなダブルスタンダードともとれる回答となっているのかもしれません。
いずれにせよ本件回答は到底受け入れられるものではありませんでした。本会執行部は引き続き交渉などを進めてまいります。
執行部だけでなく、みなさんひとりひとりが大学の主人公として主張、議論、行動などを、自発的・積極的に行っていただければ、一日も早い課外活動の正常化を実現することができると考えます。
また理事・事務員として学生自治会執行部の運営を担うという参画の方法もあります。2年生以上の方も歓迎しますので、ご検討いただければ幸いです。
自治委員の方は、クラスと執行部の間の唯一のかけはしとして、自治委員会会議に積極的にご参加ください。
これはなにも学生だけの特権ではありません。
例えば、街に大きな郵便局があれば、その屋上を見てみてください。郵便局の屋上にはテニスコートやサッカーコートがあり、退勤後に郵便労働者がサークル活動で使用できるようになっています。地上からはその防球ネットが見えるはずです。他の職場においても、労働組合の力が強ければ、このような施設があります。
このように自己実現の権利は学生特有のものではなく、労働者であっても同様に有しています。このような権利は学生しか持たないかのような認識が広まっているのは、残念ながらこうした権利を保障している企業が少ないということに過ぎません。ゆえに、学生の課外活動は遊びにすぎないのだから重要でない、という指摘は全くあたりません。